サッカー選手におけるラマダンと家づくりにおける家相


先日オリンピック男子フットボールグループリーグ「日本×モロッコ」の試合に関する興味深い記事があった。
モロッコ代表の選手の中にはイスラム教の宗教行事である1カ月のラマダン(断食月)に入り日中の飲食ができない選手がいるとのことである。
実際午後5時キックオフの試合に先発して後半27分に退いたアムラバトについてオランダ人ピム監督は、
「午前2時半から食事を取っておらず、交代せざるを得なかった」と説明している。
アムラバトは、このゲームで前線で基点となって日本を揺さぶっていただけに残念な交代であったことが推測される。
そしてモロッコは日本に負けた。

この仕事をしていると家相を取り入れて欲しいというオーダーをたまに受ける。
僕は家相を信仰だと思ってるので、クライアントがそれを望むならばそうするようにしている。
そしておもしろいのがクライアントも「家相さえなければもっとよい案ができるのに」という姿勢であることである。
つまり、オーダーする側も”分かっている”ことである。

モロッコ国民、モロッコ代表、そしてピム監督も”分かっている”ことである。

だが、もしこの先モロッコがメダルを捕るようなことが起きたりすると、ソレはとっても複雑な事象に変わるのがこの”世界”である。気がする。
人は何かが起こると何かのせいにしたがるし、何かのおかげだと思いたがるし、でもそれはとても大事な時もあるかもしれない。

ただ、どの世界が変わろうとも実直に設計をすることが寛容である。
なんてことを思った先日のゲームであった。